「一切法因縁生 (いっさいほういんねんしょう)の縁起」が、釈迦の教説にも伏在していたと推定すれば、縁起は世界の関係性、相互依存性をも含意するものであったということになります。ちなみに一切法因縁生の縁起とは船橋一哉(いっさい)の定義によれば「迷いの生にあっては、すべては種々様々な条件によって条件付けられて存在するもの、即ち条件に依存するばかりであって、条件を離れて、条件と無関係に存在するものは一つもない」
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(ごまかさない仏教 佐々木閑 宮崎哲弥 より引用