実存主義 existentialism
https://ja.wikipedia.org/wiki/実存主義
人間の実存を哲学の中心におく思想的立場。あるいは本質存在(essentia)に対する現実存在(existentia)の優位を説く思想。

神の前に教会を経ずに立つ単独者としての、自己自身の「実存」(existenz )を価値としたキルケゴールは、実存哲学の嚆矢ともいわれる。

セーレン・キェルケゴール
https://ja.wikipedia.org/wiki/セーレン・キェルケゴール

ダーウィンの『種の起源』以降、ヨーロッパは古代以来の聖書的世界から輝かしい科学と進歩の時代へと向かった。しかし、国民国家という新しい世界体制は第一次世界大戦の国家総力戦による大量破壊へ繋がり、19世紀以来続いた西欧の進歩主義への信仰は大きく揺らぐこととなった。とりわけ国土が直接、戦場となった独仏、わけても敗戦国としての重い負債を背負わされたドイツにとって、進歩主義への信頼の崩壊は強い衝撃を与えた。大陸ヨーロッパの知識人はキリスト教の精神的伝統を進歩主義によって破棄した後の、進歩主義の無残な残骸を前に途方にくれることとなった。このようなドイツにおいてまず、一時代前の人物であるキルケゴールなどが注目を浴びるようになる。
「主体性が真理である」として神から与えられた可能性を実現することに生の意義を見出したキルケゴールの主体志向に加えて、さらに、第一次世界大戦において、そのような個人を置き去りにした近代思想の惨禍を目の当たりにして、個人を哲学的考察の対象にしようという機運が盛り上がり、神の死(「神は死んだ」)を宣言し、能動的なニヒリズム (運命愛) の思想を展開したニーチェを、神を否定する実存主義の系譜の先駆者としつつ、1930年代、ドイツのマルティン・ハイデッガーやカール・ヤスパースらによって「実存」の導入が図られた。大事なことだが、ハイデッガーの意味づけの実存は、個人主体実存という本来性から離れて、「民族の」実存になっている。各個人が自由な実存のうちに民族の実存を求めているのであればよい。しかしここでは、民族の実存を希求して先導するハイデッガーが、先導される個人の私性を否認している。(Martin Heidegger, Logik als die Frage nach dem Wesen der Sprache, VittorioKlostermann, Frankfurt am Main, Gesamtausgabe Band 38. p163.) ここには真の実存はハイデガーにしかないのだが、こうした曲折を経て、実存の考え方は第二次世界大戦後、世界的に広がりをみせることになった。


フリードリヒ・ニーチェ
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実存は本質に先立つ
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/実存は本質に先立つ


「生きる道を自分で切り開く、今ここにあるひとりの人間の現実存在(=実存)としての自分のあり方」を求める思想
「すべての存在・事象は客観的な真理によって説明できる」とするそれまでの合理主義思想を批判して、すべての人間に普遍的にあてはまる本質を追究するのではなく、具体的で現実的な個々の人間のあり方を見つめるべきだとしました。
https://kou.benesse.co.jp/nigate/social/a13n0509.html


「無神論的実存主義」の思想を持った哲学者:サルトル
http://u-note.me/note/47503581

実存が本質に先立つとは、この場合なにを意味するのか。それは人間はまず先に実存し、世界内で出会われ、世界内に不意に姿をあらわし、そのあとで定義されるものだということを意味するのである。実存主義の考える人間が定義不可能であるのは、人間は最初は何者でもないからである。人間は後になってはじめて人間になるのであり、人間は自ら造ったところのものになるのである。このように人間の本性は存在しない。その本性を考える神が存在しないからである
http://u-note.me/note/47503581