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米沢市、平和通りの思い出


「昔語りばかりして、いい歳したオッサンが何してんだ」


掲示板にはそんな書き込みもあった。だが、その“昔語り”の中にしか残っていない街というものが、たしかに存在するのだと思う。


米沢の平和通り。大沼、ジャスコ、ファミリー、共立ビル。いま名前を並べても、若い世代にはただ古い建物の話にしか聞こえないかもしれない。けれど、あの頃のあそこには、地方都市なりの「未来」があった。


ガラス張りの階段。外が見えるエレベーター。噴水広場。大きな電光掲示板。ミスタードーナツ。ネオン。少し背伸びしたレストラン。子供の目には、それらすべてが都会そのものに見えた。


共立ビルはいま見ても格好いい、と誰かが書いていた。たしかにそうだと思う。古びてはいる。外壁も痛み、上の階にはもう人の気配がない。けれど、あの昭和的なタイル貼りには、いまの均質なチェーン店にはない迫力がある。地方にも“都市を作ろう”という意志が残っていた時代の建物なのだ。


あの頃の街には、無意味な空間があった。噴水の前で待ち合わせをし、用もないのにエレベーターを全階押しし、逆走して怒られた。ザリガニを釣って親に怒られた人もいる。いま思えばくだらない話ばかりだが、そういう無駄の中に街の記憶は宿る。


現在の地方都市は便利になった。駐車場は広く、ロードサイドには大型店が並ぶ。けれど、その代わりに“歩いているだけで何かが起きそうな感じ”は消えてしまった。街が平面的になったのである。


だから人は昔話をする。


京城苑で焼肉を食べたこと。永楽軒の階段。ポポロのミスド。家族で歩いたアーケード。初デートのクリスマスイブ。どうでもいい話ばかりだ。しかし、人生とは案外そういう「どうでもいい記憶」で出来ている。


掲示板では、山形弁混じりに軽口が飛び交う。


「てんつこぐな!」
「ジャスコだず!」
「素敵な家族だない」


その空気を見ていると、もう存在しない街角が、一瞬だけ蘇る。


思い出には勝てない。


あの書き込みは、たぶん正しい。けれど、人は勝てないと知りながら、何度でも思い出の中へ戻ってしまう。地方都市の夕暮れというのは、そういうものなのかもしれない。 



大丸パチンコの隣のゲーセンには、いつも少しだけ危険な空気が漂っていた。ゲーム機の電子音、タバコの匂い、薄暗い照明。そして、やたら目つきの鋭い先輩たち。ある日、そこで小遣いを取られた。いまなら笑い話だが、当時は本気で怖かった。「財布見せろや」と言われるだけで心臓が縮み上がった時代である。


平和通りの横断歩道を渡るときに流れていた音楽も、妙に記憶に残っている。あれは「通りゃんせ」だったろうか。夕方になると、あのメロディが街に流れて、子供ながらに少し寂しい気持ちになった。


サンホーユーの透明なエレベーターも好きだった。上がっていく途中、ガラス越しに街が見える。あんなものですら、子供には未来の乗り物みたいに見えた。おばあちゃんによく連れて行ってもらったなあと思う。


もっとも、自分はロッキーでは裏ボタンとベルトくらいしか買えなかった。理由は単純、貧乏だったからだ。周りが格好いい服を買っていても、自分は値札を見て黙るしかなかった。でも、不思議と惨めな感じばかりでもない。あの頃は、みんな今より少し貧乏で、それでも普通に笑っていた気がする。


今考えると、学生服のズボンは異常に丈夫だった。トップカルダン、マックスラガー、あと何だったか、ジャックなんとか。名前だけは妙に覚えている。日曜以外ずっと履いて、一年普通にもつ。膝をついて遊んでも、転んでも、そう簡単には破れなかった。


いま大人が履いているスラックスなんかより、よっぽど頑丈だった気がする。あの頃の服は、たぶん「毎日着倒される前提」で作られていたのだろう。貧乏な家の子供には、あの頑丈さがありがたかった。



ロッキーの店長は、ジーパンを買うと決まって同じことを言った。


「いい色落ちにしたかったら、半年は洗うな」


当時の自分たちは、その言葉を妙に神聖なものみたいに聞いていた。まだ“育てる”なんて言葉も知らなかった頃だが、ジーパンには人生みたいなものが宿ると、本気で思っていたのである。


店には独特の匂いがあった。新品のデニム、生地、革財布、ゴムのベルト、スプレー缶。少し薄暗い店内に、不良文化とアメリカ文化と地方都市の高校生の憧れが全部混ざっていた。


金のある奴はペパーミントやクリームソーダを買った。自分みたいに金のない奴は、制服生地の変な財布や裏ボタンを眺めるだけだった。それでも楽しかった。


「愛裸舞友♥」


そんな裏ボタンを誇らしげにつけている奴もいた。いま見ると完全に笑ってしまうのだが、あの頃は本気だった。学生服の裏側に、小さな反抗と自己主張を隠していたのである。


ボンタンのカタログを眺め、「ワタリ何センチ」とか言って盛り上がる。ステッカー売り場には「夜露死苦」とか書いてあって、さすがに少し恥ずかしかったが、それでも皆どこか惹かれていた。あの時代には、“ダサさ込みの格好良さ”みたいなものが確かにあった。


そしてパワーステーション。ゲームセンターのネオン、タバコの煙、電子音。人目を盗んで、パンツのUFOキャッチャーなんかをやった。何が楽しかったのか、自分でもよく分からない。ただ、あの頃は何をしていても少しだけ世界が輝いていた。


俺も青かったな。


そんな書き込みが最後にある。


本当にそう思う。青臭く、貧乏で、格好つけで、どうしようもなく子供だった。でも、たぶん人生の中で、いちばん「これから何者にでもなれる」と錯覚できた時代でもあったのだろう。


小学生の頃、ファミコンのディスクシステムを書き換えるのが一大イベントだった。


マリオ2。ゼルダの伝説。キン肉マン 王位争奪戦。悪魔城ドラキュラ。


透明なケースに入った黄色いディスクを握りしめ、店の機械の前に並ぶ。書き換えの待ち時間まで、なぜか少し誇らしい気分だった。ゲーム一本が高価だった時代、数百円で“別の世界”に変わるあの機械は、子供にとってほとんど魔法だったのである。


ファミリーデパートの三階では、相撲カードも売っていた。柏戸が出るまで何度も買ったという書き込みを見て、妙にリアルだと思った。子供はなぜか、「当たりが出るまで」を本気で信じてしまう。小遣いを握りしめ、同じものを何度も買う。その執念だけは、いまの大人より純粋だったかもしれない。


昔は平和通りで歩行者天国をやっていたらしい。高山紙屋でチョークを買って、道路に落書きをしたという話もある。いまならすぐ注意されそうだが、あの頃の街には、まだ子供が勝手に遊べる余白が残っていた。


最上屋の中華そば。銀馬車。親父に連れて行ってもらった記憶。地方都市の思い出話というのは、結局「何を食べたか」と「誰といたか」に集約される気がする。店の味そのものより、“親と一緒だった時間”が記憶に残るのだ。


もちろん、綺麗な話ばかりではない。


「大沼から何かギッて来い!」


そんな先輩の命令もあったらしい。“ギる”という言葉の響きに、時代がそのまま残っている。子供同士の上下関係、くだらない度胸試し、意味もなく尖っていた空気。だが、書き込んだ本人は「馬鹿な命令には従いませんでしたよ」と続けている。


そこが少し良かった。


不良ぶっていても、本当に一線を越える奴ばかりではなかった。悪ぶること自体が、半分は子供の遊びだった時代でもある。


いま振り返ると、どれも取るに足らない話だ。ゲーム、カード、ラーメン、落書き、先輩の命令。けれど、人生の記憶というのは案外そういう細部で出来ている。


ディスクシステムの書き換え音を聞くだけで、もう戻れないあの頃の空気が、一瞬だけ蘇るのである。



バッカスで女の子とパフェを食べる。


たったそれだけのことが、高校生には一大イベントだった。


ロフトっぽい席が人気で、運よく座れると少し勝った気分になる。照明は少し暗く、店の空気には大人の匂いがあった。コーヒーと煙草と香水の混ざったような、あの時代の喫茶店特有の空気である。


好きな女の子の前で、意味もなく格好つけていた。パフェを食べながら何を話していたのかは、もう思い出せない。ただ、「この時間がずっと続けばいい」とだけ思っていた気がする。


当時は高校生が喫茶店に出入りするだけで、少し不良っぽい扱いを受ける時代でもあった。「茶店出入り禁止」なんて言葉が普通に残っていた。いま考えると不思議だが、それだけ喫茶店という場所が“大人の世界”だったのだろう。


ドルフィンのスパゲティ。ポポロのプリクラ。ジャスコのゲームセンター。屋上のボウリング場。中山律子に憧れた時代。街の中には、子供と大人の境目みたいな場所がたくさんあった。


そして夜になれば銀馬車。酔っ払い。泣いていた女の人。飲み帰りの味噌ラーメン。少し危なくて、少し寂しくて、それでも妙に温かい。


地方都市の夜というのは、派手ではない。だが、そこには確かに人間の生活があった。家族連れ、学生、酔客、カップル、ヤンキー、サラリーマン。皆が同じ平和通りを歩いていた。


いま街は静かになった。建物は減り、店は変わり、雪で崩れた屋上の話だけが残っている。それでも、人の記憶の中では、平和通りはいまだにネオンが灯っているのだと思う。


「次の市長が平和通りを復活させてくれるさ!」


最後の書き込みには、半分冗談みたいな希望が混ざっている。


たぶん皆、本当に戻るとは思っていない。


それでも、人は消えた街の話をする。語っている間だけは、あの頃の自分たちも、まだそこにいるからだ。



終わりに


大沼や平和通り、ファミリーやポポロの思い出を読んでいると、こういう何気ない記憶こそ大切なのだと思う。ゲームセンター、喫茶店、透明なエレベーター、屋上のボウリング場。どれも小さな思い出だが、その時代の空気が残っている。ネットを見ても昔のホームページや写真はもう消えたものが多い。だからこそ、こういう記憶は失われる前に大事にしておきたい。